水を探る
AQUA / Research / Talk: 1
東京大学物性研究所 
原田慈久教授に聞く
illustration: MOMOKA AISO

水分子は氷のときに一番結合が強く、温度が上がるにつれ動き出します。でも、実際に液体の水になったときにどのような姿や動きをしているのかは今でも世界中で議論が続いています。

Talk: 1
東京大学物性研究所 原田慈久教授に聞く

Text: IZUMI NAKANO
分子レベルでとらえた水は、「氷のような塊」と「乱れた水」が入り交じった世界だった
2021/04/12

固体、液体、気体と姿を変える水。そのとき、分子レベルでは何が起こっているのか──誰も見たことのないナノレベルの水の状態を解き明かすことにチャレンジした東京大学物性研究所の原田慈久教授。その結果は、それまでの定説をくつがえす大きな発見でした。

原田さんは水の基礎研究をされていますが、なぜ水を研究しようと思ったのですか?

原田水って我々にとって非常に身近な存在ですよね。でも、意外にわかっていないことがとても多いんです。たとえば、水は温度によって固体、液体、気体に変化しますが、そのときに水がどんな姿をしているのか、空気中の見えない水はどんな状態でいるのか、予測はされているけれど正確にはわかっていない。水は、大気の温度が4℃のときに密度が最も大きくなる、結晶化すると体積が増えるなど水だけの特性があるのですが、ミクロな構造や変化のメカニズムなどはいまだにいろんな説があるんです。

原田さんのチームは、放射光施設「SPring-8*1(スプリングエイト)」を用いて原子レベルを観察する、いわば「ナノの世界のものを見る」研究をされているわけですが、具体的にはどのようなことなのでしょうか。

原田「SPring-8」は大型の放射光施設で、簡単にいうと放射光は非常に強いX線を安定して取り出すことができる装置で、私たちは紫外線とX線の中間に位置する「軟X線」という光を用いて、見えないものの性質を見る研究をしています。
「軟X線」は目に見えない色を持っているので、その色を使って物質の特定の元素を見たり、電子の状態を診断できます。たとえば、電池が稼働しているとき中では何が起きているのかとか、物質の電気的な性質がどのように決まるのかなど、その背後にあるメカニズムを、電子状態を可視化することで明らかにすることができるのです。

原田教授の研究チームは、世界最高性能の挿入光源「東京大学放射光アウトステーションビームラインBL07LSU」で、紫外線とX線の中間に位置する「軟X線」と呼ばれる光を用いた発光分光法を開拓し、強相関物質や溶液、大気圧下の触媒反応の解析などに応用しています(写真は、SPring-8内部、ビームラインでの原田教授)。

そこで目に見えない水の姿をとらえることにも取り組んでいらっしゃるのですね。

原田そうです。放射光を使った水の研究を始めたのは2004年で、今から15年以上前になります。それまでは超伝導や半導体、光通信の材料の研究や分析手法の開拓などに取り組んでいたんですが、私が将来的に取り組むべき課題は別のところにあるのではないかと思い、理研*2に移ったときにたんぱく質の研究を始めました。最初は光合成で水から酸素を発生するたんぱく質の分析に挑戦し、その後血液中のたんぱく質であるヘモグロビン、具体的にはヘモグロビンの一種のミオグロビンなんですが、それらに放射光から取り出したX線を当てて、水や酸素と反応する部分にあたるマンガンや鉄の電子の状態を解析しました。しかし、たんぱく質によってはX線を当てると壊れてしまう。X線によって水からラジカル*3(不対電子を持つ化学種)が出てきてそれがたんぱく質を壊してしまうと考えられていたんです。

それで水をX線で見てみようということに? それまで水を「見る」というのは誰もやっていなかったのですか?

原田我々の前に、2000年にスウェーデンのグループがトライしていたのですが、彼らは、水はこれまで通りの描像で説明できる、という報告をしていました。ご存じのように水分子はH2Oで、2個の水素原子と1個の酸素原子が結合したもので、その水分子が水素結合という、化学結合よりはゆるい電荷の偏りによる結びつきでつながっているわけです。水分子1つを中心にして5つの水分子で正四面体構造を作るのが最小単位で、それがどんどんつながっていくのですが、温度によって分子の「動き」が生まれるので水素結合の姿も変わるんです。氷のときの水分子は、分子同士がつないでいる手が最も突っ張った状態で、結合としては一番強く、一番安定した状態ですが、温度が上がっていくと水分子が動き出してギュッと近づいたり入り組んだ状態になり、つまり密度が大きくなるわけです。氷の状態が一番密度が小さいので、氷は水に浮くんですね。でも、実際に水の状態になったときに、水分子がどのような姿でいるのかはいまだに諸説あるんです。

水分子は酸素原子と2つの水素原子で構成され、わずかに水素原子が正、酸素原子が負に帯電しています。液体や氷になると電荷が不均衡になり、隣にいる水素と酸素の間に水素結合という結合が生まれます。水素結合は、化学結合の 1/10 程度の力しかなく、2つの酸素を結ぶ直線上に水素がいる場合に最大となることがわかっています。水はこの水素結合によって普通の液体とは全く異なる性質を持つとされています。水素結合は1分子あたり4つの水素結合で正四面体を形作り、秩序化するほど隙間が大きくなるという特徴があります。氷のときは最も秩序化するため、氷の密度が液体の水よりも小さくなり氷が水に浮くのです。

液体の水の分子の状態はこうなっています、という説明が教科書にあったりしますが、あれはどういうことですか?

原田一般的に、水素結合で水分子同士がつながっていって、その状態がなんとなく連なった状態がずっと続いていると考えられていたんです。いわゆる「水の連続体モデル」という考え方。一方、X線を発見したレントゲン博士が1892年に、水は分子レベルでは2つの異なる性質を持った「混合モデル」であるという考え方を提唱していて、この2つが両極端のモデルです。その他にも間をつなぐ水の構造モデルがいろいろあって、実際には、水が分子レベルでどのような形やサイズでつながっているのか、どのような動きをしているのかということについて、論争が続いていたわけです。

それを軟X線を用いて可視化しようと思われたのですね。

原田ええ。性能の良い軟X線発生装置である「SPring-8」ならわずかな水の構造の変化もとらえることができると。準備していたときに、ちょうど米国でも高精度の放射光軟X線で水を見るという話が進行していて、本当にまさにその瞬間に別のところでも同じことをしている、これは面白いという話になって。2004年当時、私は理研におられた辛埴先生の下で博士研究員として仕事をしていたので、理研のビームラインを使って水(液体)を見ました。すると、水の構造が2000年にスウェーデンのグループが発表したものとは違ったんです。

どのように違っていたのですか?

原田水の中に水素結合でお互いにまっすぐつながった水分子の塊がたくさんあることがわかった。それはまるで氷のような塊です。そしてその周りには、水分子がゆがんだ水素結合でつながっていたり、水素結合が切れていたりする、いわばネットワーク構造が乱れている水分子の海があるという感じです。「規則正しいネットワークの水の塊」と「乱れたネットワーク構造を持つ水」、2種類の異なる構造を持った水が混ざり合っていたのです。でも、当初はそれが正しい水の姿だとは思えずに、これはたんぱく質のときにラジカルができたように、X線が水に当たることで水がダメージを受けているのではないかと。それでラジカルを減らすにはどうしたらいいかという研究を始めてしまった。水分子は水素結合が組み替わっても常に氷のようにつながり合っているという思い込みが頭から離れなかったんですね。しかし実はこの不均一な状態こそが、正しい水の姿だったんです。それがわかるまでに3年かかってしまいましたが、これは本物だということで2008年に学術誌に研究成果を発表したら、誰も信じてくれなかった。最初の数年間は9割が我々の主張を否定する論文で、たぶんX線を当てることで何か違うことが起こっているのではと言われ続けました。当時、理研でこの研究を一緒にやっていた徳島高研究員と「また我々を否定する論文が出たね」と嘆き合っていたことを思い出します。それから数年経って、ようやく我々の主張を裏付ける分析結果が少しずつ出てきて、他の分光手法からも、確かに水の中に不均一な実態があるという証拠が出てくるようになりました。

室温の水(H2O)で、水素結合によって水分子中の電子が受ける影響を軟X線発光分光で調べ、解析した結果が上のグラフ。2つの異なるピークは、水素結合が異なる様態を示しています。結果、液体の水の中には明確に区別できる2つの状態があり、1つは「水分子間をつないでいる水素結合が切れてゆがんだ水の海」、もう1つは「氷によく似た秩序構造」であることがわかりました。
(*https://www.riken.jp/press/2009/20090811/
上の図は、その2つの異なる水素結合の状態を分子レベルで表した模式図。原田教授らの研究グループが行ったスウェーデンストックホルム大学、米国スタンフォード線型加速器センターとの国際共同研究の成果です(出典:東京大学物性研究所・原田慈久教授)。

同じ水だけど、ナノレベルで見ると形の違う2つの状態が混ざり合っているということですか?

原田そうです。面白いですよね。その後、共同研究のグループが、規則正しいネットワークで結ばれた塊は水分子約100個分(だいたい直径1nmくらい)だということを別の手法で発見しました。この塊は巷でいわゆる水クラスターと呼ばれているような、ずっと安定して存在するようなものではなくて、できては消えるといったことをめちゃくちゃ速いスピードで繰り返しているんだと考えられます。規則正しいネットワークで結ばれた塊ができるのは、氷の中なら当然予想されることなんですが、液体の水の中で起こっていた。しかも我々の実験では、45℃とか65℃といった室温や人間の体温よりはるかに高い温度の水の中でもこれができているのを見つけたんです。私たちは、レントゲンが100年以上前に提唱した「水の2状態モデル」が正しかったと言いましたが、論文を発表してから10年以上かかって、ようやく今、市民権を得てきたという感触があります。でも、正直なところ、まだ液体の水の本当の姿はわからないことが多いです。水の世界はこの繰り返しなんです(笑)。

そうなんですね。でも、2種類の構造があるということが、いったい我々にどんな影響を及ぼすのでしょうか。

原田まさにそこが興味深いところで、これからの課題です。そこにはこれまで考えてこなかった水の物理化学的描像があるかもしれない。たとえば、水の中で化学反応が起こるといっても、不均一性のもととなる2つの状態=氷と乱れた水の状態ごとに、違う反応が起きているかもしれないですよね。もしかしたら、私たちの体の中にこういう塊がいるのかもしれないし、この塊によって水が何か機能を持っている可能性もある。体の中でもそうですし、それ以外の場所でも。そう考えると、さらに水への探求心が湧いてくるんです。

第2回へつづく。

*1 太陽の100 億倍もの明るさに達する「放射光」という光を使い、物質の原子・分子レベルでの形や機能を調べる研究施設。理研と高輝度光科学研究センター(JASRI)が運営。

*2 理化学研究所の略称。国立研究開発法人で、アジア最初の基礎科学総合研究所として1917 年に設立。日本国内では唯一の自然科学系総合研究所。

*3 ラジカルは不対電子を持つ原子や分子のこと。通常、原子や分子の軌道電子は2つずつペアになって存在して安定した物質になっているが、熱や光などのエネルギーを加えることで、不対電子ができラジカルが発生。ラジカルは自ら安定しようとして、他の化合物から必要な電子を取って安定性を取り戻そうとする。
原田慈久(はらだ・よしひさ)/東京大学物性研究所教授。2000年東京大学大学院工学系研究科物理工学専攻修了、博士(工学)取得。理化学研究所播磨研究所を経て、2007年東京大学大学院工学系研究科応用化学専攻の特任講師に。2011年東京大学物性研究所准教授、2018年教授となり、現在に至る。世界最高輝度の大型放射光施設SPring-8(スプリングエイト)で、「軟X線」と呼ばれる光を用いて物質を原子・分子レベルで測定し、多くの物質の電子構造や機能のメカニズムを解明。難解な研究内容を普通の言葉を用いて丁寧にわかりやすく解説してくれる。
Photograph: IZUMI NAKANO
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