水を探る
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京都大学大学院農学研究科
白神慧一郎助教に聞く
白神慧一郎助教に聞く
Talk: 9
京都大学大学院農学研究科 白神慧一郎助教に聞く
私たちの体の6〜7割をも占める水ですが、どこで何をしているのか生命科学的な実態は謎に包まれています。例えば、皮膚の保湿にはバリア機能を担う角層の水が重要な役割を担っていることが知られていますが、どのような姿で存在しているのかわかっていませんでした。その姿を捉えることに成功したのが、京都大学大学院農学研究科の白神慧一郎助教です。そこに示されたのは、皮膚の保湿の常識が覆るような驚くべき結果でした。テラヘルツ波を用いた独自の解析技術が捉えた生体内の水の姿に迫ります。
ご専門は農学系で水との関わりは深いと思うのですが、生体と水のどのような部分に興味を持たれたのですか?
白神小さい頃から生き物の仕組みや原理に興味があったのですが、高校生のときに分子生物学や細胞生物学の本を開いたら、水に関する項目がほとんどないことにとにかく驚いたんですね。細胞の中のタンパク質や脂質、あるいはDNAなどの生体分子がいかにうまく機能しているかは詳しく書かれているのに1500ページぐらいある分厚い本の中に水の情報は1ページにも満たない。体の70%は水だというのに。生体の中の水についてはわかっていないことがあまりに多いのではないかと思い、非常に興味をひかれました。
水についての情報が1ページもないとは驚きです
白神ええ。それで大学で生物学を志したのですが、手違いで物理系の学科を選択してしまった。そのときは「失敗したなあー」と思いましたが、生物や水の研究には実は物理学でないとわからないことが多いと気づいて自分なりに勉強して、大学3年生のときに配属された研究室で指導教員が専門としていた「テラヘルツ波」と出合いました。
テラヘルツ波は初めて耳にしますが、どういうものですか?
白神電磁波の一種です。電磁波の種類は「波」の特徴を表す「波長」で定義され、波長が長い「電波」から「マイクロ波」「テラヘルツ波」「赤外線」「可視光」「紫外線」「X線」へと波長が短くなっていきます。我々が見ている「可視光」というのは実は非常に狭い範囲で、電波はラジオやテレビに、マイクロ波は電子レンジや最近は5G、6Gの通信に、赤外線はサーモグラフィーや光ファイバー、X線はレントゲンにとさまざまなところに使われていますが、「テラヘルツ波」という領域はこれまでほとんど使われてきませんでした。
なぜ、テラヘルツ波は使われてこなかったのですか?
白神電波や赤外線などは比較的簡単に電磁波を発生させることが可能ですが、テラヘルツ波は光と電波の中間の周波数に相当するため、発生させるのも検出するのも難しい側面があり、なかなか技術発展ができず、最近になって、ようやく研究開発が進んできました。テラヘルツ波は1秒間に1兆回(=1012回)も波が振動しますが、実は液体の水も毎秒1兆回程度の頻度で水素結合を組み替えながら暴れ回っているので、テラヘルツ波は水分子の運動と共鳴することで水分子の挙動を捉えることができます。ただ、当時は測定法が確立されていなかったので、まずテラヘルツ分光で生物の細胞の中の水の分子運動を見る方法を開発するところから始めて、1年半かけて完成し測定できるようになりました。
生物の細胞の中の水をテラヘルツ波で捉えることに成功されたわけですね。これは世界初だと思うのですが
白神ええ、おそらく、そうだと思います。テラヘルツ波の強みは生体を傷つけずに細胞の中の水のふるまいが見えるということです。当時はすべてが新しい発見で面白くて、論文を書いたり、学会に行ったりしましたが、テラヘルツ分光器で細胞の中が見えます、水が見えますと言っても、生物学の方々にはなかなか興味を持ってもらえなかったのを覚えています。
にわかには信じ難いと(笑)。そこからなぜ皮膚に興味を持たれたのですか?
白神我々の体の中は70%が水という非常に水が多い状態ですが、それは皮膚のバリアがあることで成り立っているとも言えます。体の外は乾燥しているので、できるだけ体の外に水が出ていってほしくない。そのため皮膚はバリアを使って水が出ていくのを防いでいるわけです。逆にいうとバリアがあるがゆえに外側から皮膚に潤いをもたらすのが難しい。どうやったら外側から上手に水を与えることができるのかというのを考えるうえで、まず角質の保湿のメカニズムを理解する必要があると思い研究を始めました。
体の中の水は、バリア機能を持つ皮膚の構造が支えているわけですね
白神ええ。皮膚というのは大きく分けると、外から「表皮」「真皮」「皮下組織」というふうに分類され、「表皮」の中にはさらに4つの層がありますよね。一番深いところの「基底層」で細胞分裂が起きて、「有棘層」で分化し、「顆粒層」で細胞死を経て、最終的に「角層」という死んだ細胞が集まってできたバリアが形成されるわけです。その厚みは20μm(マイクロメートル)程度、おおよそラップ1〜2枚分ぐらいと非常に薄いけれど、哺乳類の場合はこの角層の中に角層細胞がたくさん積み重なっていて、角層細胞中には天然保湿因子(Natural Moisturizing Factor/以下、NMF)と呼ばれる水を抱えるような物質があります。そして、その角層細胞の周りには「細胞間脂質」という脂が隙間を埋めていて、いわばレンガとセメントのような構造を作ってバリアを形成しているというのが一般的に考えられている構造ですよね。ただ、実際にどこに水が存在し、どのような役割を果たしているのかはわかっていないわけです。
確かに、皮膚の中の水が具体的に何をしているかは解明されていないですよね
白神その当時、京都大学で皮膚を専門に研究されていた松井毅先生*1から「哺乳類は進化の過程で保湿された角層、皮膚を手に入れた」という話を伺い、実際に保湿された状態とはどんな状態なのかとても興味を持ったのが最初ですね。松井先生もテラヘルツ波に興味を持ってくださって、その後、松井先生が理化学研究所にいらしたときに私も理研に入り、2017〜2020年の間、一緒に研究することになったんです。
松井先生とテラヘルツを用いて皮膚の中の「水を可視化する」試みをされたわけですね
白神皮膚の角質の中の水を評価するには、古くから「電気伝導度」や「静電容量」から水の量を推測する技術が知られていましたが、2000年頃に「共焦点ラマン分光器」という、弱いレーザー光を皮膚に当てて分子の振動状態を測定することで、皮膚の中の含水率を測定できるという装置が登場しました。皮膚の深さによって角層、その下の層、という具合に場所に応じて含水率が測定できるという画期的な方法ですが、「水和水」「自由水」といった水分子の種類の違いを見ることはできませんでした。
「水和水」はタンパク質などに束縛されている水で、「自由水」は自由に動ける状態の水分子ですよね、その違いが重要だと
白神ええ。皮膚の保湿メカニズムを考えたときに、「水和水」と「自由水」のどちらがより関与しているのかは重要なファクターです。水和水は、結合水*2とも呼ばれますが、タンパク質のような生体分子の表面で強く束縛されて動きが鈍ったような水分子で、生体分子の構造を保ちその機能を支えるうえで非常に重要な役割を果たすことが知られています。そこから距離が離れたところで自由に動きまわれる水分子が自由水、またはバルク水と呼ばれる水分子で、生体内には大きく分けてこの2種類の水があります。まずは角層の「水和水」と「自由水」の量を計測できれば、どちらが保湿に寄与しているのかがわかると考えました。
テラヘルツ波を使うと水分子の違いが見えるのですか?
白神テラヘルツ波は「自由水」だけを選択的に見ることができます。そこで、先ほどの共焦点ラマン分光器で計測した皮膚の中の「全体の水の量」から、テラヘルツ分光器で計測した「自由水の量」を引き算することで、「水和水量」を導き出そうと考えました。マウスの皮膚(角層)を対象とした実験ですが、乾燥肌のマウスと正常肌のマウスを比較した結果、興味深い事実が判明しました。水和水の量は皮膚の深さにかかわらず0.3g/cm3とほぼ一定の値だったのに対して、自由水の量は深くなるとどんどん増加していた。「自由水の量だけ」が皮膚の深さによって変化していたのです。
水和水量は変わらなかった
皮膚は角層から深部に行くほど水分量が増え、真皮は約70%が水分といわれますが、それは「自由水」ということですか?
白神この結果からはそう考えられます。そこで、肌の乾燥との関係性を見るために、正常肌のマウスと乾燥肌のマウスで水和水の量がどう異なるかも確認してみました。すると、乾燥肌の水分含水率は正常肌に比べてほんの少し減っている程度で、正常肌のマウスも乾燥肌のマウスも水和水の量は全く同じだということがわかりました。つまり、この微妙な水分量の違いは全部「自由水」によるものだったのです。
肌が乾燥しているときは「自由水」が減っているということ?
白神そうなりますよね。ちなみに、マウスの皮膚に30分間水を塗ったときと塗らなかったときの水和水の量も同じでした。実際に水を塗ったあとの角層表面はふやけるような感じになり水を多く含むのにもかかわらず、皮膚に水を塗布しても乾燥させても水和水の量は一定量に維持されていた。つまり、肌が乾燥して水分が減る際、減っているのは主に「自由水」であり、生命維持に不可欠な「水和水」は一定量に保たれていることが、テラヘルツ分光によって初めて明らかになったのです。
角層の水和水量は変わらない
肌が乾燥しても「水和水」は減らないということは、天然保湿因子(NMF)が水を抱えることが保湿の要ではないということですか?
白神そこが実に興味深い点で、このとき同時にマウスの天然保湿因子(NMF)の量を共焦点ラマン分光器で計測したのですが、NMFの量は皮膚の深さとともに減少していました。つまり、NMFの量が減っても水和水の量が変わらなかったということから、水和水はNMFによって抱えられていない可能性が見えてきた。では、何が水和水を抱えているのか。このグラフの中にあるように、ケラチンの量は角層の中でもほぼ均一に分布しているので、たぶんケラチンが主要因になっているのではないと思っているところです。
天然保湿因子(NMF)が抱える水より、ケラチンが抱える水が重要ということですか?
白神そうです。天然保湿因子(NMF)という存在は皮膚科学ではよく知られていますが、個人的には今回得られた結果はすごく納得できると思っています。それには二つの理由があって、一つは単純に角質細胞の約8割がタンパク質のケラチンで、NMFの量がかなり少ないという点。皮膚中のNMFの量はケラチンより100分の1とか数十分の1しかないため、水和水の要因としては比較的小さいだろうと考えられます。もう一つは、NMFはアミノ酸や乳酸、尿素など小さい分子の総称で、もともとはフィラグリンなどの非常に大きいタンパク質が分解されてできたもので、NMFになったからたくさん水を抱えるということはないのではないかと思っていたからです。
となると、「角質細胞の天然保湿因子(NMF)が水を抱えることで保湿される」という概念は実は違っていたということでしょうか?
白神この実験では、マウスの角層細胞にもともといる天然保湿因子(NMF)、いわゆる内因性のNMFは保湿に関してケラチンよりも影響が小さいという結果でした。ですので、外からNMFを含んだ物を添加した際に皮膚の保水能力が向上する可能性はあって、今までの考え方が否定されたというわけではないと思います。ただ、この結果から言えるのは、もし保湿の要が自由水なのであれば自由水を増やすべきで、水和水を増やしていいのかどうかはわからない。水和水を増やすことで水分量が増えたとしても、それが健全な皮膚へと導かれるかどうかはまだわからないですよね。
水和水はケラチンが保持!?
水和水と自由水はどんな役割があると考えられますか?
白神まだわかっていないことは多いですが、簡単に言うとタンパク質にきちんとした構造と機能を持たせて使える状態にするのが水和水の役割だと言われています。また一方で、自由水も物質の循環や拡散の原動力としての役割を担っているのではないかと考えられます。水の移動の観点から考えると、水は水分子が多いところから少ないところへ移動するので、体の内側は7割が水で皮膚の外側は水が少ないため、自由水は中から外へと移動する。しかも、体の中の生きている細胞は自由水が必要で、それがないと生命活動は成り立たないけれど、一番外側にある角質は死んでいる細胞なので自由水がなくても存在し続けることができるため自由水は肌表面の角層から出ていってしまうのではないかと考えられますよね。まずは、皮膚の中のどこにどれぐらい双方の水が存在しているのかを把握することが重要だと思っています。
肌が機能するには水和水、乾燥には自由水が関わっているとすると、健康的で美しい肌には両方が必要ということですよね。ちなみに自由水を増やす方法はあるのでしょうか?
白神 先ほどお話ししたように、皮膚の中から外へと移動する水の動きを止めることはできないと思うんです。ですので、極論になりますが皮膚にワセリンなどを塗って水が出ていきにくくすれば自由水量を増やすという点では合理的だと思います。それともう一つ、松井毅先生は角層よりもその下の顆粒層で起きる細胞死に着目されています。皮膚特有の細胞死が起こり機能的な角層細胞を形成するメカニズムを解明されて、この細胞死を「Corneoptosis(コルネオトーシス)」と命名しているのですが、結果、正常なコルネオトーシスが起こることで、薄くて柔軟な角層が形成される。いかに上手に細胞死するかで角層のバリア機能が変わるのですが、細胞が死ぬ際、カルシウムの流入に反応して真っ先に水の状態が変わって、具体的には自由水が減少するような変化を発見しています。これは生命現象の引き金に水が深く関わっている可能性を示唆していますよね。ターンオーバーがなぜ起こるのかといったところにも水が関わっているかもしれません。
上手に細胞死するとバリア機能が整い、その細胞死に水が関与しているとなると、水は体内で想像以上に重要な働きをしている可能性がありますね
白神本当にそうですね。例えば37℃前後に保たれている体温にも生体内の水は関係しているのではないかと思っていて。というのも、水は比熱(1gの物質を1℃上げるのに必要な熱量)が高いという特性があって温まりにくく冷めにくい性質があり、水の比熱の最小値は37℃前後という特性もある。どうして体温が37℃なのか、水がどう関わっているかなどなど探りたいことはたくさんあります。
生体を傷つけずに生体内の水の挙動がわかるこの方法なら、さらに新しい発見がありそうです
白神 テラヘルツ分光器と共焦点ラマン分光器については、現在、新しい装置を開発中です。それによりヒトの皮膚の角層よりさらに深い部分で水がどのような動きをするのか探りたいと考えています。皮膚の内側の水の状態がわかれば、効果的な保湿の方法が見つかる可能性はありますよね。本来あるべき皮膚の中の水の状態の理解を深めて、それに合わせたような薬剤や成分の開発も進めていければと思っています。
皮膚以外でも水の研究、例えば食品と水の研究などもされているのですか?
白神 農学系なので、食品中における水の相互作用や、産業廃棄物からの効率的な脱水技術の研究など、食品や環境分野への応用などの研究も行っていますが、ことあるごとに水の不思議に出逢います。例えば、高野豆腐は水で戻すとそのあと水が抜けにくくなります。中を見るとタンパク質が網目状の三次元的なネットワーク構造を作っていて、その隙間を埋めるように水がいる。しかも、タンパク質の網目は水分子よりも10倍大きくて、1mの人間の周りに10mの大きさの出口がある状態なので本来は水は簡単に出られるはずなのに、なぜか抜けない。水も水素結合のネットワークができてしまうのか、タンパク質のネットワークによって水分子の移動が抑えられてしまう不思議な現象が生まれます。水を取り巻く環境にも水は左右されるため、そこを調べることも重要だと感じています。
水の不思議は尽きることがないですね。研究をするうえで大切にしていることはなんですか?
白神自分にしかできないことや社会的なニーズがどこにあるかという独自の着眼点を持つことと、いかに丁寧に実験をしてデータとしっかり向き合うかということ、そしていかにわかりやすく伝えるかという点でしょうか。最終的な目標は、水研究のきっかけになった生物学の教科書にはない『水』の章を作ることなので、あまり人が注目していないところにも着眼点を持って、生命における水の役割や水にまつわるさまざまなメカニズムを解き明かしていけたらと思っています。
*2 水和水は結合水、不凍水とも呼ばれ、物質の周囲を取り囲み保持されて通常の水(自由水)とは異なる挙動を示す水分子のこと。相互作用の強さで、水和水(結合水・不凍水)>中間水>自由水となる(詳しくは、九大・田中先生のページを参照)
2016年、京都大学大学院農学研究科修了。博士(農学)。独立行政法人日本学術振興会特別研究員PD、2017年より特定国立研究開発法人理化学研究所 基礎科学特別研究員を経て、2020年京都大学大学院農学研究科生物センシング工学研究室 助教に。テラヘルツ分光を用いた生物・細胞内の水分子ダイナミクス研究のスペシャリスト。大学時代よりテラヘルツ分光器の開発に携わり、テラヘルツ分光法を用いて細胞内やタンパク質表面の水の物理的・構造的特性を解明したり、肌のバリア機能における水の役割や、生物の生体機能に関わる水の動態を研究している。
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